イタリアの食べ物の物語は、
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フォッジャの鉄道の駅。今でもイタリアの町をむすぶ、重要な鉄道の駅フォッジャ。でも、戦争中は、このために・・・ ともかくフォッジャに行ってみる さて、みんなの反応のよくないフォッジャ。でも、朝早く、ここオルサラからバスにのり、1時間ちょっとで、フォッジャに到着。大きい!近代的!日本の団地を明るくしたような住宅地がいっぱい!・・・街にはいった第一印象。 バスは駅に着き、駅のレンタカーのお兄さんに、 「ツーリストインフォメーションは、どこですか?」 お兄さん、「遠いよ~」 「別に、ひまだからいいんですよ、歩きますよ。」 「うーん、説明できないなあ・・・歩けないよ」 「どのくらい?」 「500メートルくらい」 (歩けるじゃないか!) 「・・・ともかく、はじめは、この道まっすぐ?」 「うーん、そうだねえ」・・とらちがあかない。 「はじめてフォッジャに来た観光客が、街の地図が、欲しくて、ツーリストインフォメーションがわからなかったら、困るじゃないですか」(←自分のこと。フォッジャで説教してどうするって感じですが;) すると、「ほんとにそうだね」と、妙に素直。 でも考えたら、レンタカーのお兄さん、関係ないもんね。 とにかく、街にいけばいいや、と歩き出し、今度は、売店のお兄さんに聞くと、 「そんなのないよ。旅行会社があるから、あそこできけばいいよ」とのこと。 旅行会社とは、ちょっと違うんだが・・と思いつつ、とにかく、入り、 「フォッジャに今ついて、観光したいんですが、見所はどこでしょう?」 「フォッジャは、見るとこないんだよね」 かわいそうなフォッジャ。 でも、この親切なおじさんは、ていねいに、いろいろ教えてくれて、31度の強烈な日差しの中、近代都市、フォッジャを散策。 公園。とてもよく整備されています。つい最近、再建されたそう。 スーパーの袋を持った人たちの通り道。 車がぐるぐる ここは、歩行者天国になっていて、両脇には、Max mara ,ベネトンなど、集まり、ショッピングには、かなり快適ゾーン。よく整備された道、歩行者天国・・・日曜日の銀座を、100分の1くらいにして、高級店をなくして、スローモーションにし、ベンチにはお年寄りを配置した街、フォッジャ。・・・よけいわかりにくいか。 戦争が破壊した、フォッジャの歴史 市民博物館に入り、フォッジャの歴史を見ると、1943年(昭和18年)、5月から、9月のドイツ軍によるあいつぐ爆撃で、フォッジャの街の、なんと75%が、壊滅。20000人の市民が犠牲になったそう。 このためフォッジャの建物は、ほとんどが、第2次大戦後の、近代建築。ローマ、フィレンツエ、ヴェネチア・・どこもイタリアの都市は、古い遺産のおかげで、今でも多くの人が、食べているというのに、フォッジャには、そんな甘い汁は、残されませんでした。 オルサラに戻り、「なんで、フォッジャが、そんなに、壊滅的にやられたの?」と、アレッシオにきくと、「フォッジャは、南の鉄道の重要な駅だからね。北のボローニャ、南のフォッジャ、この2つは、重要だったんだよ」 インフラを破壊すれば、すべては、ストップ。 戦争の近視眼的な破壊行為の犠牲になったフォジャ。みんな悪くいうけれど、「便利」なことは、「便利」じゃないか、とちょっとひいき目になったりもします。 と同時に、イタリア人の友達の、辛口の批評、 「イタリアは、過去の遺産で生きている」 を思い出します。ローマで数年前、おつりの出なかった地下鉄の自販。こんなんでも、だまってても、こんなに世界中から、観光客が押し寄せるんだもんなあ・・と、妙に感心したものです。 でも、これからもしばらく、フォッジャには、お世話になります。 オルサラ村からも、フォッジャ経由なしには、どこにもいけないからです。 フォッジャ、私は、悪くは言わないぞ (笑)
by andotarou
| 2007-05-16 04:20
| プーリアの生活
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