イタリアの食べ物の物語は、
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ペスキチの木工細工のお店のご主人 店にはいると、数人の男たちが、マンドリンをかかえて、雑談。不思議な光景。脱ダム問題でもめた、某(前)県知事をほうふつさせるお顔ながら、マンドリンを抱える姿は、ばっちり。 ぶらぶら楽しいペスキチの夜の散歩 さて、トラブッコで夕飯を食べた後、夜ペスキチを散歩。夏のイタリアのバカンス気分いっぱい、のんびりまったりした空気。夏は人が多くホテルも高いけど、夏の夜のこの開放感あふれる雰囲気は、やっぱり捨てがたい。 トッティ似のろうそく細工のお兄さん 見事な腕前(とかっこよさ?)に、たくさんのひとだかり。 クレープやさん なぜかコマやさん 道で実演販売。売ってるおじさん自身がとっても楽しそう。 さきほどの、木工のお店 自分がしっくり落ち着くものを買って、長く使いたい・・・。ここの店のものも、素敵な手作りのものだったのですが、今はがまんがまん;) こんなふうに、みんなぶらぶら このペスキチの夜は、今から、ちょうど1ヶ月前の、7月のはじめ。 それから約3週間後・・・。 このペスキチに、思ってもみなかった悲劇が。 ペスキチの大火災 7月の終わり、ペスキチの山林で火災が発生し、3人が死亡、1人が、重体、400~500人が、逃げる際などに怪我をし、4000人~5000人が、海岸から、船で脱出、というポンペイのような悲劇が起こりました。このほとんどは、観光客。 山林で発生した火事は、街の手前までとどき、私が、弟のために撮影した、ジロ・ディイタリアの看板のところにまで及んだそう。ここは、もうほぼ街の中心に近いところです。 7月の終わりの熱波のこの日、イタリア中で火災が発生。 ロンバルディア、ウンブリア、カンパーニャ、プーリア、カラブリア、シチリア、サルデーニャ、と、25箇所で火事が。 イタリア中が、燃えていたのです。 白い煙が火災が発生しているところ その中でも、もっともひどかったのが、ペスキチ。 2つの煙の上がペスキチ。 すぐそばのヴィエステでも、この日火災がありました。 私たちが、トラブッコに行くために、何度も通ったサン・ニコラという松林は、夏は、キャンプをする人をはじめ、大勢の観光客でにぎわい、レストランや、ピザや、夏の間のヴィッラが、たくさんあって、にぎわっていたところなのですが、ここが、ひどく燃え、新聞には、焦げたキャンピングカーが。 亡くなった3人のうちの2人も、このサン・ニコラで、車を捨て徒歩で逃げようとして亡くなったのです。 トラブッコを探すため、本当に何度も、ここを通ったので、よくわかるのですが、火事が上の道路から迫ってきたら、もう逃げ道は、本当にどんづまりの下の海辺だけ。 サン・ニコラの森にいた観光客も、海辺の観光客も、みんな船で脱出しました。 市のボートではもちろん足りず、海辺のプライベートのボートが大活躍。 緊急事態のずさんな避難体制を責められた市の責任者の話では・・ ”こういう緊急事態には、各地方が、協力しない限り、大掛かりな救助は難しい。しかしみな協力したがらないので、即座に対応できないのだ。しかし、これは、我々のせいではなく、政府のせいだ。” でました! イタリアでは、何でも ”だっれもせいでもありゃしない~” のです。 放火魔つかまる。悪魔のような犯人たち ペスキチにあるウンブラの森 夏なのに、ひんやり涼しく、通ったとき、海がこんなに近いのに、こんなに素敵な森もあるなんて、と思ったのですが・・・。 その後、放火した犯人3人がつかまり、彼らは、このウンブラの森の近くに土地を持つ地主たちと判明。 ウンブラの森周辺は、国立公園に指定されているため、ホテルや、レストランを勝手に建てることは、禁止。しかし、その辺一帯が、火事になれば、彼らは、政府から見舞金がもらえて、その後、ホテルや、レストランを建てられるらしい。そうなれば、地主たちは、大儲け。 イタリア人の友人のこの説明に、「ちょ、ちょっと待ってよー」と思わず叫ぶ。 そんなことのために、火をつけるなんて。 亡くなった4人のうちの、1人は、火災を空中から消そうとしていたヘリコプターのパイロット。重体の1人も、同じヘリコプターの同僚。 街や森や人々を守ろうとして、ヘリコプターを操縦し、なのに、そんな人たちのせいで、死ななくてはならなかったなんて! おもわず 「犯人は悪魔だー!!」と叫んでしまいました。 燃えるのは、あっという間、しかし、あのサン・ニコラの森木々が再びよみがえるのはいつなのでしょう? そして、戻ることのない人たちや家族の怒りや悲しみは、いったいどこにぶつけたらいいのか? このペスキチの火災は、一歩間違えば自分もあそこにいたし、またいつかゆっくり行こうと、思っていた気に入った場所だったので、そんな場所の一部が、あっというま放火でなくなってしまった、と聞いたとき、わりきれない喪失感がありました。 楽しかったプーリアの旅から帰って、しばらくして聞いたのはそんなニュース。 それでも、いつかきっとまたガルガーノ半島には、もう一度。 長々と続いたプーリア旅行記は、今回でおしまい。 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。 最後に、ペスキチの火災で亡くなった方のご冥福を心よりお祈りします。
by andotarou
| 2007-08-02 04:20
| プーリアの生活
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